『ソウルフルワールド』は、夢や目標を達成することだけが人生の目的ではないことを教えてくれる。

ディズニープラスでようやく『ソウルフルワールド』を観ることができました。

「生まれる前の世界」が描かれるスピリチュアルな側面が強めなので、今回ネタバレにならない程度にレビューしてみます。

なお、本作ではジャズピアニストが主人公であり、途中でジャズセッションの演奏シーンがあるのですが、これはつい最近ジャズアニメ『BLUE GIANT』を観たばかりだったので胸熱でした。

(『BLUE GIANT』はめっっっっっっっちゃ良かったので、もう上映期間が終わりに近いと思いますが、ぜひとも映画館の音響で観てください!!)

『ソウルフルワールド』ピクサーのアニメーション映画でありながら、実は「人生に疲れがちな中年以降向け」である理由がよくわかりました。

これは過去にもどこかで述べたことがあるのですが、「魂のミッション」「使命」「天命」なんて言いますと、多くの人は何らかの仕事や役割をイメージするものです。

「私は自分の使命がわかりません・・・」という悩み相談を聞くとき、そこには

「まだ自分は何者にもなれていない・・・」

「自分は何者かにならなければならない・・・」

「自分にしかできない何かをしなければならない・・・」

と、「何らかのカタチを得たい」という欲求があります。

ただ、ミッション、使命、天命は必ずしも何らかのカタチであるとは限らないんですね。

『ソウルフルワールド』は従来通りの「夢」や「目標」に向かって生きる男の物語。

夢に反対する母親に向かって言うセリフ。

「じゃあ食べなくてもいい。そう、これは仕事の問題なんかじゃないんだ。そう、生きる意味なんだよ。もしも今日死んだら、人生に何の意味もなかったことになる」

ただ、その夢はまだ十分に達成できているとは言えないし、さらに「ある事件」がきっかけで挫折してしまうんですね。

その事件で行き着いてしまった「生まれる前の世界」での出会いによって、「人生のときめき」とは何かに気づいていく物語です。

そこには必ずしも従来の夢や目標の達成、またミッション、天命、使命の成就が最上の価値ではない、というメッセージが込められています。

興味深いのは、夢や目標が逆に自分を苦しめる呪いや足かせとしても描かれている点です。

以前、ある有名クリエイターが「自分は世間では評価されているけど、必ずしも幸せというわけではない。いつも次の作品のことで頭がいっぱいになっていて、もう自分の才能は枯れてしまったんじゃないか、という強迫観念に絶えずさらされています。まるで呪いがかかっているかのように」と語ったのが印象的でした。

それを乗り越えて素晴らしい作品が残せるならいいのですけど、一方でその呪いで潰れてしまった人もいるわけです。

そういう人は表舞台から消えてゆくので、世間に知られることはないんですけど。

いま、オッサンやオバサンが若者に「あなたの夢は何なの?」と聞くとウザがられることが少なくありません。

そういうのを「ウィルハラ」(ウィルハラスメント/ウィルは「希望」という意味)というらしい。

ある程度の人生経験を積んだオッサンやオバサンならわかりますよね、そう簡単に夢は叶わねえ、そう簡単に引き寄せられねえ、と。

むしろ「断念」を覚えていき、それでも自分ができる小さなことに充実感を見出していくのが、成熟した大人の一つの生き方でしょう。

もちろん、いくつになっても夢や希望を描いてチャレンジングな人生を歩むのが向いている人もいます。

要は、従来の夢や希望の達成、ミッションや使命天命の成就だけが「あるべき姿」ではないということです。

私は起きた後に窓のカーテンを開け、晴れた日なら太陽の光を浴びながらぼーっとするのが好きです。

そこで「ただ光と一つになっている感じ」を味わう時間は、地味だけど「生きてるっていいな」と感じられる瞬間。

「ライフワーク」とは【ライフがワークする=生命が生きる】と言うこともできるし、『ライフがワークされている=生命が生かされている』と読むこともできます。

そう、「生きて、在る」ことをただ味わうのも天命成就の一つの姿なんでしょうね。

そのような「何気ない日常の中にも喜びがある」ことを、『ソウルフルワールド』は教えてくれます。

このワールドはすでにしてソウルフルな(魂に満ちた)ものであった、と。

目標達成の人生に生きるのもよし。

日々の人生のささやかな喜びを味わう人生もよし。

この季節においては、桜の儚い生命に自分を重ね合わせるのもよいではないですか。

『ソウルフルワールド』の主人公は、映画の後半でついに憧れの夢を叶えることになります。

従来の映画だとここでハッピーエンド、めでたしめでたしとなるわけですが、そうはいかんぜよ。

以前観た『アナ雪』も、ハッピーエンドの先がありました。

「ありのーままのー♪」で生きられたら幸せだと思ってたのに、いざそうなってみると全然違ったやん!

というように、両者には「自己実現の先がある」または「自己実現とは別の世界線がある」ことを教えてくれます。

なので「魂の発達のプロセス」としては、青年期までは夢や目標に向かって突き進み、成熟期・晩年期は身近な存在との愛だったり日常のささやかな幸せを味わったりするようなモデルが考えられますね。

今の情報社会においては前者の「絵になる」生き方が多くクローズアップされますが、本当はそれだけではない。

流行りの言葉で言えば「多様性」というやつでしょうか。

まぁ「多様性」と口先では言いながら本当は多様性を排除しようとするのが現代社会の病理なのですが、真の多様性、多面性でもって成熟した人生を歩んでいくには、こういう作品を通じて時代の病理に感染しない生き方を考えてゆくと良いと思います。

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