『逢瀬 横浜に咲いた絶世の花魁喜遊』は名誉のため自決を選んだ女性の物語。

現代の日本人が忘れている「名誉心」を思い出せてくれる、悲しくも美しい物語。

著者は前に紹介したことのあるHEAVENESE(ヘブニーズ)のリーダー石井希尚(マレ)さん。

もう絶版になっていましたが、運良く近くの図書館にあったので借りて読みました。

あらすじは以下の通り。

あらすじ

幕末、開港したばかりの横浜に華々しく開業した妓楼〈岩亀楼〉

 

時代の波に翻弄された美しい娘と尊王攘夷派の若き志士との恋

新進作家が描く歴史時代小説

開港したばかりの横浜。そこに江戸吉原を凌ぐ港崎遊郭が出来た。

 
その象徴ともいえる壮麗な妓楼「岩亀楼(がんきろう)」に、喜遊という美しい遊女がいた。

岩亀楼は日本人専門の遊郭であったが、強欲なアメリカの武器商人アボットが「どうしても喜遊と寝たい」とごね、外交問題にまで発展した。

 
それに対し、彼女は異人の客となり汚される侮辱を拒み、自害。

 
その事件は、誇り高い日本女性として伝えられ、いつしか彼女は、異人を排除する「尊皇攘夷派」の志士たちの心に燃える「倒幕の炎」の燭台となっていった。

 

幕末に語りつがれた美女・喜遊、彼女の秘められた恋を描く歴史時代小説。

名誉のため、真の愛国のため、絶世の美貌を持ちながらも異人(外国人)に身はもちろんのこと、魂は断じて売るまいと決然と自死を選ぶその姿は、まさに武士道そのもの。

「露をだに 厭うやまとの女郎花(おみなえし) ふる亜米利加に 袖はぬらさじ」

露に濡れることさえ厭うやまとの女は、たとえ身を売る遊女であろうと、アメリカ人の客となって身を汚し袖を涙で濡らすより、死を選ぶ。

貧困から苦海(遊女の世界)に入るしかない運命であっても、その魂は「やまとの国」を欧米列強から守らんとする祈りを忘れなかった。

それから約150年経った現在でも、同じく強欲グローバリズムの侵食を当時よりずっと巧妙な形で受けている。

武士道を忘れ、歴史を忘れた現代の日本は、このままではなされるがまま。

再び立ち上がるためには、民族の意識の底辺に流れているはずの「魂」を、思い起こさねばならない。

生死を超えた価値を、見据えなければならない。

この小説を読んで、そんなことを感じた。