『箱男』:スマホという「箱」に生きる我々を1970年代に予見した安部公房の天才性。

娯楽を求めて観ない方がいい。

私は「安部公房」という日本を代表する作家の「反小説」「実験小説」「シュールレアリスム」の独特な世界観を感じたくて観ました。「たぶん理解できないだろうな」と事前に予想しつつ。

やっぱり理解できなかったけど、映画館を出てしばらく経っても「モヤモヤ感」が胸につかえている。

「もしかしたらオレも『箱男』なのかもしれない・・・」

と “ゆらぎ” を感じただけでも、ハズレを覚悟して見た甲斐があった。

まぁつまらない映画です(笑)

途中で何人か帰っている人もいたし、隣に座った人は爆睡してましたし、自分も何回か「早く終わらないかな」と思いました。

コミカルなバトルシーンやちょいエロシーンがなければ、集中力が持たなかったでしょう。

『箱男』の原作は1973年。

「箱に隠れて社会と隔絶する」「箱の匿名性から世界を観る」という、個人主義の最終形を象徴的に描いた安部公房という人の頭の中はどうなってるんでしょうかね。

現在では大半の人間が「スマホ」という箱の中で外界を遮断して生きているわけで、「あなたも『箱男』なのだ」というメッセージは違和感が全くない。

個人的にスマホは極力使わないようにはしている。

けれども今もこうしてパソコンという「箱」の穴の中から世界を覗いているわけで、ときどきこの「箱」から完全に解放されたいという衝動が起こる。

最後のシーンでそのへんのことを言いたかったのかな、と解釈しています。

まぁ別に見なくてもいい映画です(笑)

むしろ映画より舞台の方が合っているんじゃないかと思います。

メインはダンボール箱だから、美術セットにそれほどお金はかからなさそうだし。