今日も何かを殺して生きていく:東出昌大ドキュメンタリー映画『WILL』を見て

(本内容は過去のメルマガの転載です)

『WILL』は俳優の東出昌大さんが数年前の不倫による過剰なバッシングによって急性ストレス障害に見舞われたとき、かねてから興味のあった自給自足の狩猟生活に打ち込むことによって、少しずつ心を整理してゆく姿を追ったドキュメンタリー作品。

約400時間にもなる映像を140分に凝縮した、最初から最後まで見応えのある作品です。

世間は主に「不倫男」としての彼しか知らないわけですが、少なくとも意図的に歪曲されていないであろう映像から伝わる彼は、とても真摯で、思慮深く、繊細な人間でした。

残念ながら上映館が少ないのですけど、もし機会あれば見てみてください。

※公式サイト

https://will-film.com/

これまで東出昌大という俳優のファンではなかったのですが、少し前を振り返れば『スパイの妻』『Winny』『福田村事件』など、それほど映画通でもない割に彼の出演作品をよく観ています(特に『Winny』は彼の演技が光っているのでおすすめ)。

ま、本作のおかげでめちゃくちゃ好感を持ってしまったのですけど。

さてこの『WILL』ですが、予想以上にリアルな狩猟ドキュメンタリーなので、「食育」や「生きること」について考えざるを得ませんでした。

自分が生き残るために、他の命を殺して喰らう。

愛とか恋とか、正義とか平和とか、人間は「魂の存在」だとか言ったところで、肉体としては喰わなければ生きていけない。

猟銃で鹿を仕留めるシーンがノーカットで出てくる。

目を開けたまま死んでいる鹿の目を、そっと閉じてあげる。

殺した鹿は、すぐ解体する。

テレビやYouTubeとは違い、内臓にモザイクは一切入らない。

まだ内臓から湯気が立っている。

社会見学として解体を眺める地元の子どもたちの中には、抵抗感を示す子も、無言でじっと見つめる子も。

スーパーに綺麗に並んでいる肉を見るだけでは、絶対わからない世界。

抵抗感を示した子も、調理されたその肉を食べれば、正直に「おいしい」と言う。

獣を仕留めたときに思わずガッツポーズをする東出。

「仕留めた」という本能から生まれる喜びと、「命を奪う」という理性から生まれる罪悪感とが葛藤する。

「ここ何日の間、全く収穫がなかったので素直にうれしい。一方で、打たれた獣が可哀想という気持ちもある・・・だったらテメーが死ねよ、とも思うけど」

数年前のスキャンダルで週刊誌の記者に「ターゲット」にされた東出昌大は、山の中では獣を「ターゲット」にする。

週刊誌の記者に対し「あなたがたの報道によってある人間の人生をめちゃくちゃにしていることについてどう思いますか?」という逆インタビューに対し、その記者の回答は・・・(詳しくは映画を)

お金のために、生きていくために、「ターゲット」の命・人生を奪って生きざるを得ないかなしさよ。

ただ、相手に対する申し訳なさは、慣れていくうち、次第に薄れていく。

生きていくためだもの。

不祥事を犯したヤツが悪いんだもの。

しかし、いくら正当化しようと、後ろめたさがゼロになることはない。

猟師たちは動物の「供養塔」を作り、それに祈りを捧げる。

生きとし生けるもの、すべて「仏性」を宿しているという教え。

たまたま自分は人間として生まれた。

もし因縁が少し違えば、今度は狩られる動物として生まれるだろう。

そのときは、仕方あるまい。

自分だって、これまでたくさん殺してきたのだから。

命としては対等、お互い様だ。

これが「神の元に平等」というやつではないか。

「食べ物に感謝する」だけで、殺生の罪が、生きるための必要悪が、完全に放免されると思ったら大間違いなのだろう。

どれだけ清廉潔白に生きているように見えても、喰わなければ生きていけない。

映像の中に「人間は地球のガン細胞だ」という言葉も出てきた。

ただ、他の命を犠牲にして生きざるを得ないのであれば、せめてささやかでもその恩に報いられるような、少しはマシな生き方をしたいとは思う。

以上はあくまで『WILL』を観て感じたことです。

まだ2月ですけど、ドキュメンタリーとしては今年一番のような気がします。

上映館が限られているため都心まで出かけないといけないのが面倒だったのですが、私は予告編を観ただけで大きく心が動かされてしまいました。

■『WILL』予告編(YouTube)

あと、ところどころで挿入される『MOROHA』の言葉が、東出さんの心を代弁しているようで、胸に刺さりました。

本作では以下の『革命』ほか数曲使われていました。

■MOROHA – 革命 / THE FIRST TAKE(YouTube)