『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は心にしみる親子の物語。『Coda あいのうた』と双璧をなす素晴らしさ。

これは良かった。地味だけど味わい深い作品でした。

どこにでもありそうな親子間の愛情を描いた映画ですが、主人公がCODA(コーダ:Children of Deaf Adults=耳が聞こえない親がいる子ども)であることが特徴です。

と聞けば「特別な家庭」だと思うかもしれませんが、実は一般的な家庭とほとんど大差ないのではないか、という気にさせられるぐらい、「親子の葛藤あるある」「思春期あるある」が描かれています。

CODAといえば、以前『Coda あいのうた』という映画を紹介したことがあります。

この映画もすごく良かったのですが、どちらも聴覚障害を「特別なもの」として描いておらず、当たり前の喜怒哀楽を持つ人間として映し出しているのが素晴らしい。

『Coda あいのうた』は笑いの要素がかなり強い一方、今回の映画は最初から地味なトーン。

主人公の吉沢亮演じる「大」が生まれた頃から大人に成長するまでを、1枚1枚丁寧にアルバムを見せられているかのよう。

それを約110分の限られた時間で全く無理なく描いているように感じるのは、無駄がないのでしょうね。

しかも原作者の五十嵐大さんと自分はほぼ同世代なので、ゲーム機がファミコンからゲームボーイになるところは個人的に重なってしまう。

そして、十代で親に反発するところも、まさに自分の辿ってきた道ではないか。

それにしても、大の両親ともすごくやさしい。

耳が聞こえない分、天はこの2人を清らかな心にしてくださったのでしょうか。

じいちゃんばあちゃんは個性的で、特にヤクザまがいの破天荒じいちゃんの影響は、成長した大が編集プロダクションというブラック企業で生き残るしぶとさとして現れているように感じる。

編プロの仕事の合間で聴覚障害者のサークルに出ることで、「苦労しているのは自分だけじゃないんだ」ということを理解してゆく。

そして最後のシーンがなぁ・・・

この映画にしかできない演出だけど、これはアカンやつや。

親の立場でも子の立場でも、これはアカンやつや。

監督の呉美保さんは韓国国籍の在日韓国人なんですね。

その出自だからこそ、マイノリティ(少数者)に対するまなざしがやさしいのかもしれません。

私も在日韓国人です(大人になって日本国籍に帰化しましたが)。