センスのない自分には難しい映画でした。
日本映画としては62年ぶりのゴールデングローブ賞、かつアカデミー作品賞(邦画初)、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門受賞のスゴい作品、絶賛している人は多いけれど。
179分の長尺、決してダルくはない。キャストはみんな素晴らしい(中でも三浦透子さん演じる「みさき」が良かった。タバコ吸う姿カッコ良すぎ)。
「めっちゃセンス良い作品」というのは感じられるものの、それを腹に落とすところまで行けない。
たぶん何回か観てやっと「あぁ、そういうことだったか・・・」と理解できるんじゃないかと。
これも前に観た同じ濱口監督の『偶然と想像』と同じ【会話劇】。なので「言葉」が最も重要になってくる。
本作の演出の中心にあるのは、手話も含む多言語で演じられる『ワーニャ伯父さん』。理解できない言語の応酬に普通は奇妙な印象を覚えるけれど、だからこそ人間の内なる「普遍性」に触れられる。
また、台本読みにあえて感情を込めないからこそ、言葉の奥に宿る真実が(虚構の舞台で)現れる・・・いやはや難しい。
本作の出てくる重要なセリフの一つが、
「本当に他人を見たいと思うなら、自分自身を深く、まっすぐ見つめるしかない」
主人公(西島秀俊)が過去の喪失と向き合うプロセスが、タイトルである『ドライブ・マイ・カー』なのだろう。車は独りになれる大切なパーソナルスペースだから、他の誰にも運転させたくなかったのはよく理解できる。
・・・ダメだ、もうレビューが書けない。
本作を振り返るとモヤッとしてくるのは、言語化できていない部分が多くあるからだろう。
オリジナルは村上春樹ということもあり、とても文学的な映画。
賞を総ナメしているニュースに影響され軽いノリで観た結果、きっと自分みたいに良い意味でモヤモヤしてしまった人は少なくないのではないか。
ともかく、日本人による日本語作品として、こういう映画が観れて良かった。
また179分を費やすのは気合がいるけど、たぶんもう何度か観てしまうだろうな。