(本内容は過去のメルマガからの転載です)
今回は今週のブログに書いた「恩と縁の自覚」について、深く考えさせられる題材を取り上げます。
先日、脱北(北朝鮮からの亡命)のドキュメンタリー映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』を観ました。
※公式サイト
https://www.transformer.co.jp/m/beyondutopia/
※予告編(YouTube)
ただ『ビヨンド・ユートピア』は公開の週に観に行ったものの、かなり大きなインパクトがあり、非常に重たいテーマでもあったので、しばらく胸の内に収めておこうと思ったんです。
北朝鮮を描いた映画は、ここ数年で観たのは
・『トゥルー・ノース』
・『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。』
です。
あと、少し角度は変わりますが、北朝鮮による拉致問題を取り上げた映画として
・『めぐみへの誓い』
もあります。
特に『トゥルー・ノース』は北朝鮮の「政治思想犯収容所」を描いたもの。
アニメながら凄惨な内容ではあるものの、エンタメとして完成度は非常に高いので心からオススメします(『トゥルー・ノース』『めぐみへの誓い』は現時点ではアマゾンプライムで観れます)。
さて、『ビヨンド・ユートピア 脱北』は命がけの脱北を映像に収めた史上初の作品です。
もちろん、映画である以上はどこかに演出が入っている可能性はゼロではない。
ただ「北朝鮮の人民がかわいそう」というお涙頂戴感はなく、感動を煽るような音楽もなく、淡々とリアルに脱北の一部始終を描いているのはさすがオスカー候補になるぐらいだと感じました(受賞は逃しましたけど)。
前回のブログで私は「在日韓国人」だった出自を述べました(12、13年前に日本国籍に帰化しています)。
実は、話せば長くなるし個人的なことなので別の機会にしますが、私は運命の歯車が少し違っていたら北朝鮮に生まれていた可能性があるんです。
もし北朝鮮で生まれていたら、今週のブログで述べたように「好きなことだけで、生きていく」自由はもちろん与えられていません。
そして、もともとグーグル様に迷惑メール扱いを受けてしまう生意気な人間なので、北朝鮮に生まれていればおそらく金一族支配への疑問を感じただろうし、その結果「政治思想犯」として強制収容所にブチ込まれていたかもしれない。
○○さんも私も、”たまたま” この日本に生まれたんです。
たとえGDPがドイツ(人口8000万)に抜かれ世界第4位に転落した日本、それどころか人口一人あたりの生産性はG7の中でダントツ最下位に凋落している日本だとしても、それでも北朝鮮に比べたらずっと「自由の国」に生まれているわけです。
さて、昨日の音声配信でも述べた「因果論」ですが、北朝鮮に生まれ辛酸をなめさせられることは「過去世のカルマ」と言えるのでしょうか?
スピリチュアル業界で言われる通り、北朝鮮に生まれたことは「自分で選んだ」のでしょうか?
私は「過去世」にしても「生まれ変わり」にしても、安易に回答を出すことはできないと考えています。
なぜだかわからないけれど、私たちは、たまたま今生では日本に生まれた。
そして、もし運命の歯車が少しでも違っていたら北朝鮮で生まれたかもしれないし、いま虐殺が行われているガザ地区で生まれた可能性もある。
おそらく人智を超えた無量の因縁が絡み合い、言論統制は進んでいるとはいえ、まだ自由度としてはマシな日本に生きているという、この縁、この恩。
これらを、いかに、噛み締めるか。
私は『ビヨンド・ユートピア 脱北』を観てから、予告編にも少し出ていたおばあさんの泣き顔をたびたび思い出してしまいます。
思い出してしまうから、今では逆に寝る前、起きた後、食事のときなど、積極的に思い出すようにしています。
教育という名の洗脳によって、とても苦しい生活でも「金将軍は素晴らしい」と言ってしまうおばあさん。
でも映画の後半では「もし若いときに亡命していたら、お化粧して、楽しい恋もできたのに」という本音を吐露するようになったおばあさん。
もしかしたら自分がこの映画の登場人物になっていた可能性を考えると、いま与えられている自由、「天命を生きる」という自由を与えられている自分の因縁を、やはり深く噛み締めなければならない、という思うんです。
自由のない国にいたら、その日を生きることだけで精一杯で、「天命」なんて言ってられませんわ。
それにしても、なぜ「美しい星」であるはずの地球では、いまだこんな地獄があるのか。
この自由であるはずの日本でも、現時点では例の医療問題(ここをハッキリ言うと迷惑メール扱いされてしまう!)をはじめ、今後も息苦しくなる流れにある。
そこを少しでもマシにするためには、逆説的ですけれど不正や腐敗や虚偽や抑圧を真正面から見据える勇気が必要です。
無関心と無気力が広がっている中で、それでも私たちはなすべきをなす。
そのための、いつも言っている「祈り」ですよ。
単なる「いい子ちゃん」の真似事ではないのですよ。
この映画は非常にショッキングな内容ですが、それはたまたま自分には直接的に与えられなかった運命。
もしかしたら自分も辿ったかもしれない運命を、「自分事」として見つめてみる。
これもまた、「縁」と「恩」を噛みしめることだと思うのです。